「縁起でもないものを、ポストに入れるな!」最初のお叱りが、最初のお客様になるまで ― 手作りチラシ1万枚を配った話
はじめまして、倉敷坊主です。
今日は、会社を始めた頃の苦労話を書きます。最初のお客さんを、どうやって獲得したかという話です。
お客さんがいない
会社を立ち上げたばかりの頃というのは、お客さんがいないのが当たり前です。看板を上げたからといって、すぐに誰かが訪ねて来てくれるわけではありません。まずは、知ってもらうところから。けれど、その広告を業者に頼むお金もありませんでした。当時、広告やホームページは、頼めばすぐ何十万円、何百万円の世界だったのです。
ないものは、作るしかありません。
A4を四つに切った、小さなチラシ
私が作ったのは、とても小さなチラシでした。A4のコピー用紙を四等分した大きさです。どうしてそんなに小さくしたか。紙を節約するためです。1枚の紙から4枚のチラシが取れれば、配れる数が4倍になります。経営者というのは、こういう所で知恵を絞る生き物です。
内容は、「お葬式のことなら、〇〇社に」という趣旨で、電話番号が書かれただけの、シンプルなチラシでした。私の仕事は葬儀の仕事ですから、チラシに書けるのは、そういう言葉になります。当時の私に書けたのは、そのくらいの言葉だけでした。格好のいい言葉も、人の心を動かすような言い回しもありません。あるのは、1日でも早く仕事を受けたい、という思いだけでした。今でこそ「その後は違いますが」と笑って話せますが、当時は必死でした。
作り方は、マイクロソフトのワードです。今のように便利な道具はありませんでしたが、文字を打って、枠を付けて、なんとか形にしました。それをコピーして、四つに切って、チラシにしました。
用意した数は、1万枚。A4の紙で言えば2,500枚分です。我ながら、よくやったと思います。
配るのも、自分
当時、葬儀屋さんが新聞にチラシを入れるのは、年に2回、6月と12月くらいが相場でした。お盆とお正月の前に亡くなる方が多い、という昔からの経験からでしょうか。大手をはじめ、中小の葬儀屋さんのチラシも、この頃になるとよく目にしました。大手さんには、その裏付けになるデータがあったのでしょう。
私には、その折り込みのお金すらありませんでした。だから、印刷したチラシは自分でポスティングしました。配布の業者に頼むお金もありませんでしたから、足で稼ぐしかありません。
そもそも、葬儀屋さんがポスティングをするのは、大手さんが冠婚葬祭の会員集めをするくらいでした。葬儀そのものの知らせを、自分で配って歩く小さな葬儀屋は、珍しかったと思います。
当時は、葬儀屋さんといえば、何十年も地元に根を張ってきたお店ばかりでした。「葬儀といえば、地元の〇〇葬儀屋さん」というのが当たり前の時代です。私自身も、そういう地元の葬儀屋さんに勤めていた側の人間でした。
そんな所へ、地元でもない葬儀屋(倉敷坊主)がポスティングをするのです。今思えば、眉をひそめる方がいたのも、無理はありません。
1万枚というのは、口で言うのは簡単ですが、配り始めると果てしない数です。それでも、自信はありました。これが最初のお客さんに届くのだと思えば、足は動きました。
5月には、半袖半パン姿でポスティングをしていました。周りから見れば、ずいぶん異様な姿に映ったと思います。葬儀屋といえば、きちんとした身なり、というのが世間の目でしたから。
その後、ポスティングする姿を見ていたお客様から相談を受けたことがありました。その方の第一声が、「半袖の葬儀屋さんかな?」でした。この第一声は、今も忘れられません。異様に見えた姿も、覚えてもらう印にはなっていたのです。
名刺もパンフレットも、手作りでした
チラシだけではありません。名刺も、パンフレットも、自分のプリンターで作っていました。
道具は、中古で買った型落ちのノートパソコンと、Amazonで購入したレーザープリンターです。新品をそろえる余裕はありませんでしたが、この2つがあれば、作れないものはほとんどありませんでした。
今思えば、出来栄えは素人のものでしたでしょう。けれど、あの頃の私にできる精一杯が、そこに詰まっていました。お金をかけられないなら、手と足と時間を使う。それが、始めたばかりの経営者のやり方でした。
最初の電話は、お叱りでした
やがて、電話が鳴りました。初めての問い合わせかもしれない。期待して受話器を取ると、返ってきたのはお叱りの声でした。
「縁起でもないものを、ポストに入れるな!」
私の仕事は、人の最期に寄り添う仕事です。チラシの内容は、どうしても「縁起でもない」ものになります。特に業種が業種ですから、、、。電話口で、私は平謝りでした。
因果なもので、葬儀屋さんは、誰かが亡くならないと仕事が来ない、、、。仕事が増えることは、誰かの悲しみが増えることでもあります。その紙一重のところに、この仕事の難しさがあります。
ところが、謝っているうちに、お客様の口から、ご家庭の事情が自然とこぼれてきました。義母さまが、もう先が長くないこと。離婚のあと、その義母さまを一人で介護してきたこと。怒りの電話の向こうに、誰にも言えずに抱えてきた重さがありました。
自信を持ってポスティングしていただけに、このお叱りはこたえました。けれど同時に、自分の仕事が届くべき人は、こういう方なのだと分かった気がしました。
その方が、最初のお客様になりました
結果として、そのお客様が、私の最初のお客様になりました。そして、その後もたくさんの方々を紹介してくださいました。
お叱りの電話が、最初のお客様との出会いでした。今でも、この仕事の始まりを思い出すとき、真っ先に浮かぶのは、あの電話の声です。
あの頃の手作りが、今につながっている
ホームページを自分で作り、広告やチラシを自分で作り、名刺まで手作りしていた。そういう経営者でした。
今では「0から1を生み出す」という言葉を耳にします。私にとっての0から1は、苦しみの真っ最中にありました。お金はない、お客さんはいない。それでも、A4を四つに切った小さなチラシと、1万枚を配る自分の足で、なんとか1を生み出そうとしていたのだと思います。
今は時代が変わって、私は箇条書きをAI執事に渡して、記事にしてもらっています。けれど、「ないものは作る」「できることは自分の手で」という気持ちは、あの1万枚のチラシの頃から変わっていない気がします。
そしてもう1つ。お叱りも含めて、声をかけてくださった方との話を最後まで聞くこと。あの電話が教えてくれたことは、商売の基本として、今も残っています。
最初のお客様は、最後のお客様でもありました
最後に、もう1つだけ書いておきます。
会社を閉じる前、最後のお客様は、あの方でした。お叱りの電話から始まった、最初のお客様です。
会社の始まりにも、終わりにも、同じお客様がいてくださいました。商売というのは、数字だけでは語れないものだと思います。1万枚の小さなチラシから始まったご縁が、最後まで続いた。そのことに、今も感謝しています。
皆さんは、仕事を始めた頃に、どんな工夫をしましたか。そして、最初のお客様のことを、今も覚えていますか。